トゥーランドットと政治家
2006年12月24日
宇佐美 保
トリノの冬季オリンピックのフィギア・スケートでは、プッチーニのオペラ「トゥーランドット」の名曲“誰も寝てはならない”による荒川静香選手の氷上の舞いに大感激してから、もう10ヶ月近くが過ぎようとしています。
その美しい舞と比べて、「郵政民営化反対議員の復党問題」、「石原都知事の海外での大名旅行、身内への便宜供与」等などの政治家の汚さには、うんざりしてしまいます。
しかし、荒川選手の舞った“誰も寝てはならない”の曲はどのような曲なのでしょうか?
この曲は本来、テノールによって歌われる有名なアリアです。
3大テノールの一人であるパバロッティが、ローマで開催されたサッカーのW杯の開会式で歌って以来、世界中の人に愛されるようになり、トリノ・オリンピックでの開会式でも、パバロッティによって歌われたのです。
そして、オペラの中では、韃靼国の王子カラフによって歌われるアリアで、多くの人はこのアリアの旋律の美しさとともに、このアリアを歌うカラフの心情に引き込まれるのではないでしょうか?!
此処で、このアリアが歌われる経緯とオペラの粗筋を掻い摘んで書かせて頂きます。
韃靼国は敵国に滅ぼされ、その国の王子カラフは、放浪の旅に出て、北京に流れ着きます。
そこでは、
中国の皇女トゥーランドットの出す3つの謎に挑み、 それを解いた男性は皇女と結婚する事が出来、 又、解けなかったら首を落とされる事が布告されていました。 |
そして、王子カラフは、トゥーランドットを一目見て、余りの美しさに恋におちます。
そこで、
カラフは、周囲の制止を振りほどいて、 トゥーランドットの3つの謎に挑み、 全て解いてしまいます。 |
しかし、トゥーランドットは、祖先の皇女が、他国の男性から耐えがたい屈辱を与えられたので、男性への憎しみの念と復讐心を抱いておりました。
ですから、3つの謎を出していた目的は、婿選びの為ではなく、他国の王子たちの首を打ち落とす為であったのです。
このようなトゥーランドットですから、 当然のように、 カラフとの結婚を破棄してくれるように、 父である皇帝に懇願します。 |
皇帝は、誓約は神聖であると、トゥーランドットの願いを跳ね除けます。
そこで、なんと
カラフは、自分の権利をあくまでも主張することなく、 “私は、首をかけてトゥーランドットの3つの謎を解いた。 いま、逆に、私は、貴方に1つの謎を出す。 貴方は、私の名前を知らない、私の名前は何か? 明朝までに、貴方がわかったら、私は死にましょう!” |
皇帝は“日の出とともに、お前が私の息子となる事を、天は望むだろう”と云い。
北京中に、伝令の“彼の名前を探る為、明朝まで、誰も眠ってはならない” との声が、響きます。
そして、その中で、カラフが“誰も眠ってはならない・・・”と名アリアを歌いだすのです。
“誰も眠ってはならない、皇女ご自身も、・・・私の名前は誰も知らない・・・夜明けとともに私は勝利を得る”と
しかし、それまでにカラフの関係者(カラフの父である韃靼国の国王、そして、昔カラフに儚い思いを寄せていた侍女のリュー)が、捕らえられて“彼の名前を言え!”と拷問に掛けられますが、リューは自分の口をふさぐため、自らの命を絶ちます。
なのに、
カラフ自身は、日の出前に、自らトゥーランドットに “自分の名前は、カラフである”と告げるのです。 |
そして、トゥーランドットは、夜明けとともに集まってきた皆の前で“この異邦人の名前が分った!” と、喜びの声を上がるのです。
そして、トゥーランドットが声にしたのは、なんと・・・
“その名は、愛!” |
私は、このカラフの心情が大好きです。そして、憧れています。
そして、このカラフの心を持てるようにと日々努力しています。
(勿論、このカラフのアリアを歌う事は大好きです。
なにしろ、歌っている時だけは、私はカラフになりきれるのですから!)
それでも、カラフ気取りの私を、
「頭も心も空(カラ)で、身は芯が無く、麩(フ)のよう」 |
と非難する人も世の中には居るようです?
それにしても、何故、世の中の多くの方々は、カラフとは異なり、自己の権利を頑なに主張するのでしょうか!?
そして、規則に違反していなければ何をやってもよいとの石原都知事のような態度をとる事が出来るのでしょうか?!
人間社会における「権利」や「規則」などは、決して絶対的なものではありません。
相対的なものです。
ですから、人の上に立つ者は、「自分の権利は、少なく」、「自分に対する規則は厳しく」と心掛けるのが当然と私は思っています。
(それが、又、一種の規則でもあるはずです。)
ところが、悲しい事に、石原都知事の行動心情は全く逆です。
そして、多くの政治家達の行動心情も!
私にオペラの世界の素晴らしさを教えてくださったのは、3大テノールより遥かに素晴らしいテノールのマリオ・デル・モナコ先生です。
(後年、マリオ・デル・モナコ先生に教えを請いましたので、マリオ・デル・モナコ先生と書かせて頂きます。)
この件に関しては、拙文《マリオ・デル・モナコ先生と私》を御覧頂けましたら幸いです。
その拙文は、次のように始っています。
1961年、『NHKのイタリア・オペラ』のテレビの画面から飛出してきたマリオ・デル・モナコさんの歌われる「道化師」のアリア“衣装をつけろ”は、当時,アインシュタイン、エジソンに憧れ、東京工業大学の門をくぐっていた『歌大嫌い,オペラなんて特に大嫌い人間の私』を、すっかり圧倒してしまいました。・・・ |
この1961年の『NHKのイタリア・オペラ』の公演では、マリオ・デル・モナコ先生は、「道化師」の他に、「アンドレア・シェニエ」、「アイーダ」に出演されたのです。
そして、小泉前首相は、この時、の「アンドレア・シェニエ」によってオペラの世界に誘われたようです。この件は《小泉支持派と林真理子氏》をご参照下さい。
そして、私は、この時の「アイーダ」でマリオ・デル・モナコ先生によって熱唱されたエジプトの若き将軍ラダメスに心を奪われたのです。
隣国エチオピアはエジプトへと兵を進めます。
神のお告げでエジプト指揮官にとして任命されたラダメスは、エチオピア軍を撃破します。
エジプト国王は、その褒章として、娘(王女アムネリス)をラダメスに与えると宣言します。
しかし、ラダメスは、王女アムネリスに仕えているアイーダ(捕虜として捕らえられているエチオピアの王女(身分を隠して))と恋仲だったのです。
そこで、アムネリスとの結婚を前に、アイーダとエチオピアに逃げる約束をします。
その際、アイーダに逃げ道を尋ねられて、兵を配置していない道を告げてしまいます。
このことを陰で聞いたアイーダの父(身分を隠して捕虜となっている)は躍り上がって喜び、己の身分を明かしラダメスにアイーダ共々エチオピアに逃げようと告げます。
ラダメスは、自国の機密を敵国に知らせてしまった事に苦しみます。 |
そして、この現場を捉えたアムネリス達は、3人を捕まえようとしますが、ラダメスは剣を抜き衛兵達に立ち向かって二人を逃がし、自らは剣を神官の前に捧げ置き、
“Sacerdote,io
resto a te” (祭司様、わが身を貴方に委ねます)と歌うのです。
そして、この時、マリオ・デル・モナコ先生は、5線の上のラの音で書かれた“io resto”を高々と長々と歌われ、私はすっかり魂を奪われました。
捕らえられたラダメスに対して、アムネリスは“アイーダをあきらめ自分と生きるなら、王に助命を請う”と懇願しますが、
ラダメスは“国を裏切った自分には、死しか残されていない!”と アムネリスの願いを拒絶します。 |
そして、祭司達の“申し開きする事はあるか!なければ、祭壇の下の石牢に生きながら閉じ込める!”との尋問にも一切口を開かず、一切弁明せず、石牢に閉じ込められます。
ただ、このラダメスの運命を察知してアイーダは予めこの石牢に潜り込んでいて、ラダメスはアイーダと一緒に天に昇って行ったのです。
私は、このマリオ・デル・モナコ先生の熱演による
「自らの罪は自ら認め、一切弁明しないラダメス」にすっかり心を奪われてしまいました。 |
そして、先のカラフと共に、このラダメスは私の行動規範となっているのです。
でも、なかなか難しいので、それに近付こうと努力しているのです。
世の中の人は、“オペラなんか、単なる作り物に過ぎない!そんなものの登場人物なんかに憧れるのは愚の骨頂!”と言われるでしょう。
でも待ってください。
私達はオペラに心から感動します。
そして、そのオペラの筋書き(台本)は、支離滅裂なものが多く存在します。
(特に、ヴェルディの作曲した「トロバトーレ」は、その台本の支離滅裂さで有名です。でも、感動します。)
この感動は理屈を超えています。
それは、普段は、私達の心の奥底に潜んでいる大事な魂を揺さぶり起こしてくれるから感動するのではありませんか?!
そして、
この眠っている魂を揺さぶり起こしてくれるのが芸術ではないでしょうか!? |
それから、オペラと違って映画は少し現実的でしょうか?
私は、映画館やテレビで見て感動した映画のうち、3本の映画だけは、その後、そのDVDを購入しました。
1本は、「ライフ・イズ・ビューティフル」です。
(1939年、親子3人が幸福に暮らしていたのに、父親がユダヤ系イタリア人であった為、収容所に送られてしまいます。その中でも、美しく輝く夫婦の、そして、子どもへの愛情が・・・戦争の悲惨さ!
何故このように人々を悲惨な目に合わせる戦争などを私達はするのでしょうか!?
そして、ロベルト・ベニーニそして彼の奥様等が演じる主人公達が可哀相で可哀相で、このDVDは購入したままで封は切れずに飾ってあります。
なにしろ、又見たら、涙をこらえる事が出来ないでしょうから!)
2本目は、同じロベルト・ベニーニと奥様が演じる「ピノッキオ」です。
そして、3本目は、名優フィリップ・ノワレ(惜しくも11月23日ガンの為76歳で死去)が、シチリアの寒村の映画館での映写技師を演じる「ニュー・シネマ・パラダイス」です。
時は、丁度、安倍首相が感激したと言う映画「AIWAYS 三丁目の夕日」と同じ戦後間もない頃、テレビ登場の少し前からテレビ登場の頃です。
この「ニュー・シネマ・パラダイス」では、映写技師アルフレードが、美しい少女エレナに恋し悩む少年トトに、次のお伽噺を聞かせます。
(DVDの字幕を利用させていただきます。)
昔むかし王様がパーティーを開いた 国中の美しい貴婦人が集まった 護衛の兵士が王女の通るのを見た 王女が一番美しかった 兵士は恋におちた だが王女と兵士ではどうしようもない ある日 ついに兵士は王女に話しかけた 王女なしでは生きていけぬと言った 王女は彼の深い思いに驚いた そして言った “100日の間 昼も夜も 兵士はすぐバルコニーの下に行った 2日・・・10日 20日たった 毎晩 王女は窓から見たが兵士は動かない 雨の日も風の日も雪が降っても 鳥が糞をし 蜂が刺しても 兵士は動かなかった そして── 90日がすぎた 兵士はひからびてまっ白になった 眼から涙が滴りおちた 涙をおさえる力もなかった 眠る気力さえなかった 王女はずっと見守っていた 99日目の夜── 兵士は立ちあがった 梯子を持って行ってしまった |
トトが、“最後の日に?(どうして)Ma come?All
fine!”と尋ねます。
“そうだ 最後の日にだ なぜか分らない 分ったら教えてくれ“ |
とアルフレードは答えます。
そして、後日トトはアルフレードにその答えを告げます。
でも、トトの答えには、私は疑問を持ちます。
映画を見続けていると、どうもアルフレードはアルフレードなりに「兵士が最後の日に立ち去ってしまった理由」を理解していたようにも思えます。
でも、私は、その理由にも疑問を持ちます。
そして、最後まで見終わると、“この映画はアルフレードの解釈でよかったのかしら?”とも思います。
この件をあまり書き続けると、まだ名作「ニューシネマパラダイス」御覧になっておられない方の楽しみを奪っては申し訳ありませんから、この続きは、別途、次の拙文《ニュー・シネマ・パラダイスのお伽噺の謎》に書かせて頂きたく存じます。